おはようございます。坂本です。
本日のテーマは「時分の花」と「まことの花」についてお話ししていきたいと思います。
「時分の花」と「まことの花」。
これは、世阿弥(ぜあみ)が書いた、能(のう)の美しさや芸の極意について説いた日本の古典『風姿花伝』(ふうしかでん)に出てくる言葉です。
日々の中で、自分が注目され、まるで華やかな花が咲いたように感じる瞬間があるかもしれません。若い時期には、特にそういった輝きを感じやすいものです。
世阿弥(ぜあみ)が語る「時分の花」とは、この若さや一時の美しさ、目を引く魅力を指しています。
しかし、ここで大切なのは、この「時分の花」はいつか必ず散り、消えてしまうものだということです。
つい、若さゆえの人気や注目を真の力と思い込み、それに慢心してしまうと、やがてその花が散ったときに大切な成長の機会を逃してしまうことになるでしょう。
世阿弥は「時分の花」と「まことの花」を混同してはいけないと警告しています。
では、「まことの花」とは何でしょうか。それは一時の華やかさとは違い、長い鍛錬と努力によって咲く花です。見た目には目立たないかもしれませんが、それは自分という人間の本質から生まれる価値であり、散ることのない花です。若いときに華やかに咲く「時分の花」に心を奪われず、地道な努力を重ねることで、「まことの花」を育てることができるのです。
坂本も40代になり、外から見える華やかさが薄れても、その人の内に静かに咲き続ける「まことの花」は大切に育てるべき。そして、若い世代に経験や知識を伝えることも、この「まことの花」を育てるひとつの方法だと感じています。
まとめると、本日は「時分の花」と「まことの花」というテーマについてお話ししました。本日の話が何か参考になっていただければ幸いです。最後まで聞いてくださり、ありがとうございます。