おはようございます。坂本です。
今日は「幸せ」という漢字の語源についてお話ししてみたいと思います。
✔ 幸せってなんだろうと考えたことがある方
✔ 今の生活に満足していないと感じている方
✔ 当たり前の日常を、もっと大切にしたい方
そんな方にとって、少し視点が変わるかもしれない話です。
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こないだ、とある本を読んでいたときに「幸」という漢字の語源にふれている箇所があって、すごく印象に残りました。
「幸」の元となった甲骨文字は、実は“手枷(てかせ)”の象形だという説があるそうです。
手枷とは、手を拘束するための道具。つまり「幸」は、自由とは真逆の“不自由”をあらわす記号だったというんですね。
それがどうして“しあわせ”と読むようになったのか?
ある説では、不自由な状態から逃れたいという願望や、「まぐれな幸運を求める気持ち」から転じて、
かなわぬ願いが叶ったときに感じる“しあわせ(=僥倖)”として使われるようになったそうです。
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これはあくまで一つの説ではあるのですが、なんだか妙に腑に落ちる部分もありました。
たとえば、昔の時代では、ごく一部の人しか自由を手に入れられなかった。
「生きているだけでありがたい」
「今日も無事でいられることが幸せ」
そう思うことが、当たり前だったのかもしれません。
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「幸せ」は、ずっと自由な中にいると、かえって感じにくくなるものかもしれません。
むしろ、ちょっと不自由な状況、ちょっと満たされていない状態の中にこそ、
「ありがたさ」や「大切さ」を見つけるチャンスが隠れている。
そんな気がしたんです。
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今、自由に暮らしているはずなのに、なぜか満たされない。
何も困っていないのに、物足りなさを感じる。
そんなときこそ、
✔ 不自由さの中にあった“しあわせ”
✔ 限られた中で感じた“ありがたさ”
こういう原点を、もう一度思い出してみると、少し気持ちが変わるかもしれません。
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今日の話は、まだ自分の中でも生煮えの考えでしたが「幸せ」という漢字の語源」についてお話ししてみました。
でも、「幸せ」ってなんだろうと考えたときに、
“与えられたもの”ではなく、
“不自由の中で見つけるもの”かもしれない。
そんなふうに思ったので、今日はこの話を残しておこうと思いました。
本日の話が、なにかの参考になっていただければ嬉しいです。
最後まで聞いてくださり、ありがとうございます!